高校受験家庭教師の極意


1. 授業で最初にすべきこと
〜生徒の能力を引き出す下地を作る
2. 生徒が自ら考えようとする意欲を引き出す
3. 〈コラム〉親の関わり方
4. 教師は頼られる存在であるとともにきさくである必要がある
5. 生徒の記憶に残りやすいように問題を単純化する

 

 受け持った生徒の成績が上がらない理由の1つとして、家庭教師のパーソナリティが関係する場合があります。教師を志す人は人好き、つまり心の交流を求めている人が多いんです。それなのに現実に授業をしてみると目前の生徒と心が通じていない、このことで悩む先生もいるんです。生徒は会社員と異なり生活がかかっていないから、生徒は先生に対してペコペコしてくれないことが原因です。他方でコミュニケーションの仕方が分からない生徒の例として“先生の好き嫌いが激しい生徒”“先生に質問できない生徒”“友人関係や勉強のことで相談する人がいない生徒”“落ち着いて授業を受けることができない生徒”“素直に人の言うことを聞くことができない生徒”“先生に叱られるとふてくされる生徒”“遅刻することがよくある生徒”などが挙げられます。

 生徒との緊密なコミュニケーションを図るためには、頼られる先生であることと、生徒が接しやすいきさくな先生であることが必要です。

 まず、生徒に頼られる先生に共通していえることは、教師としての立場をわきまえている先生であり、また、打てば響く先生であるということです。教師として叱るときは真剣に叱ることができなくてはなりません。感情的に“怒る”んではなく、目的をもって、タイミングを逃すことなく、即座に“叱る”んです。生徒の機嫌をうかがったりめんどくさがったりして叱るべきときに何もせずやり過ごす先生もいます。しかし「父母やわらかにして、厳ならず、愛過ぐれば、子たる者、父母をおそれずして、教え行われず、戒めを守らず、ここを以て、父母を侮りて、孝の道立たず」(貝原益軒「和俗童子訓」)は、子供が親の言う事を聞かなかったり親が子供を叱れないことをいまし戒める教訓ですが、この教訓は親子間だけでなく師弟間にもよくあてはまります。生徒の側からすれば、教わったことは忘れても叱られたことは忘れない、叱られることは財産になるんです。

 もっとも、叱るばかりでは本当のコミュニケーションはとれません。打てば響く先生、生徒と共感できる先生であることが望ましいんです。これについては、国分康孝著「教師の表情」(瀝々社)に詳しいので、時間のある人はぜひ読んでください。例えば、ひどい成績をとった生徒が「先生かなりやばいよ、助けて〜」と泣きついてきた場合、その生徒に対して即座に「あれほど勉強しろと言っただろ、あきらめろ」と突き放すのも1つの指導法です。でもそれはあまりに官僚的で血も涙もありません。生徒にとっては勉強を犠牲にしてでもやるべきことがあったはずなんです。だれしも勉強そっちのけで打ち込まなければならないことはあるはずです。家庭教師の先生も自分の体験を思い出して生徒と一緒に共感してやることで生徒は非常に安心する、一体感も生まれるんです。「塾も学校も授業がわからなくてつまらない」という生徒に対しては、まず「つまらない」という感情を共感してやれば明日からは前向きな気持ちになってくれることが多いんです。勉強に消極的な生徒は抵抗勢力ではなく、迷い子に過ぎませんから、消極的な気持ちに共感し、あるいは一緒に解決するという姿勢を示して心を開かせることが必要です。人は相手の立場で物事を考えてはじめて相手の考え方を理解することができるのです。

 次に、きさくな家庭教師の先生は生徒の能力を引き出す力があるといえます。きさくな先生とは、のうてんきでなれなれしい人という意味ではなく、生徒を尊重しつつ伝えなくてはならないことははっきり伝えられる先生をいいます。人はだれしも正しく評価されたいという欲求を持っていますから、話をよく聞いてくれる人と一緒にいると安心するんですね。聞き上手な先生は、生徒に共感することによって生徒を正しく評価し、良好なコミュニケーションをとることができます。
 きさくな先生はアドバイスの仕方も上手です。生徒の人格や性格に踏み込んだアドバイスをすると生徒は守りの姿勢に入りますから、生徒の言動や態度を客観的に指摘するに止めています。また「普通は〜だ」「みんなは〜している」とアドバイスすると、生徒は自分を理解してもらえないと思ってしまうので、決して話を一般化せず、あくまで個人的な意見に止めています。さらに、生徒が誤った意見を言っても「でも〜」というふうに逆説ではなく、「なるほど。だったら〜についてはどう思うの?」というふうに生徒が自分で誤りに気付くように促します。そして、話が一段落したら「君ならできるよ」「期待しているぞ」と背中を押すんです。こんな対応では生ぬるいときもあるでしょうが、「教師は補助者にすぎない」「決定権を常に生徒にある」、これが本来の姿であることを忘れてはなりません。
 反対にきさくでない先生の例としては次のようなものが挙げられるといわれます。笑顔をみせない、敬語ばかり使う、冗談が通じない、若年寄(わかどしより)と人に評される、タテマエしか出てこない、人の中にいると肩がこる、言葉を選んで語る、おかしくないのに笑う、強がりを言う、自己卑下が多い、人の欠点ばかりあげつらう、難しい理屈ばかり述べて煙(けむり)にまく、答えられない質問を受けるとムカッとした顔をする、といった先生は構えが強すぎて生徒はとりつく島がない。構えが強い先生とは自分を受け入れることができない先生をいう。国分先生の前掲書によれば、こういうタイプの先生の場合、自分が女性であることを嫌悪(けんお)している教師はどうしても女らしい女子生徒が好きになれない、男らしくない自分を嫌悪(けんお)している教師はなよなよした男子生徒を無視しがちになる、なんてことが起こりうる。そうした“構え”をなくすためには、教師は自分を受け入れて自己嫌悪に陥ることなかれ、と。

 確かにお説教ばかり言いながら言葉とは裏腹の行動をとる先生は生徒に見透かされてしまいます。また、目を見て話をしない人が自分の本質を隠しているかのごとく、心を開かない先生に対して生徒が心を開くはずもありません。自分を隠せば相手も本当の自分を見せない、これは当然の理屈です。

 さらに、“構えをなくせば自分をコントロールできる”ということを付け加えたいと思います。教師といえども、当然、上司・同僚の批判やご家庭の苦情にさらされます。そのときに反発したり、屁理屈をこねたり、あげあし揚げ足をとったり、はぐらかしたりしても物事はよい方向には進みません。教師の目的は目前の生徒の成績を上げて志望校に合格させることにある、このような原点に立ち返って考え直す必要があります。教師の目的はガチガチに構えて自分のプライドを死守することではありません。批判や苦情に直面しても、家庭教師の目的に戻って考えれば、自分のプライド・感情を認めながらそれに支配されることはありません。“構え”をなくすことによっていつも冷静でいることができるんです。

 “構え”をなくすためにはかなりの努力と自信が必要ですから教師にとってはとても厳しい注文でありますが、大変参考になる指摘だろうと思います。まず教師自身が自己を受け入れて“構え”をなくすことにより、生徒と正面から向き合うこと、冷静に物事に対処することを可能にします。その結果、表面的な偏差値や内申点では分からない、生徒の成績が伸び悩んでいる本当の理由を見抜けるようにもなるんだと思います。

前のページへ  次のページへ  ページのトップへ 資料請求・お問い合わせ